江戸時代の夏の食べ物は?
Fri, Oct 07, 2022 05:43 PM
Jeremiah【フェア】江戸の季節
今と違い冷蔵庫など無かった当時の夏、西瓜やそうめんは七夕だけでなく、夏の味覚として広く食べられていました。 そのほか、江戸っ子が大好きな冷奴、井戸から汲んだ冷たい水に白玉と砂糖を入れた冷水(ひやみず)、おやつとして人気だったところてんなど、暑い夏に水分を取れるものが色々とあったようです。
こうして砂糖は広まった~世界一周、砂糖の旅~
砂糖が日本に伝わった最古の記録は、8世紀の奈良時代に中国から運ばれてきたといわれています。 15世紀に貴族や武士の間で茶の湯が興ります。 16世紀に始まった南蛮貿易によって、カステラなどの西洋菓子とともに砂糖がたくさんもたらされるようになりました。 これにより茶の湯とともに和菓子が発達します。
『麒麟がくる』で頻出する〈甘い食べ物〉で浮上する 1800㎏の
戦国時代に甘い食べ物といえば、干した栗や柿、ウリや梨などの果実が主流だった。 このうち、干し柿とマクワウリは美濃の名産ということが知られているが、米や麦などの穀物から作る水あめも古来、貴重な糖分、甘味として親しまれた。 古くは、『日本書紀』にもあめ(水あめ)が登場している。
第1章 駆け足でたどる和菓子の歴史
そもそも強い甘味をもつ砂糖は貴重な輸入品で、室町時代までは、蜂蜜や蔓草から採った甘葛、米などの穀実から作った水飴が主たる甘味料という時代です。
古代日本が愛した幻の味よ再び 「あまづら」復元への挑戦
甘葛は、古代日本で貴族の食事に欠かせない贅沢な甘味料だった。 平安時代の法令集「延喜式」には甘葛が全国から都に集められたことや、唐の皇帝への献上品として贈られたことが書かれている。 腐敗しないよう、煎じて濃縮して蜂蜜や水飴(あめ)のような粘り気のある「甘葛煎(せん)」として保存、輸送したという。
和菓子と砂糖の密なる関係
歴史上、砂糖入りの菓子が出てくるのは、室町時代になってからです。 砂糖は中国から入ってくる輸入品であり、流通量が非常に少なく、大変貴重な品でした。 そのためか、砂糖は薬として重宝されていたという記録もあります。 そして当時の砂糖は、黒砂糖を指していたようです。
金平糖の歴史
今から約450年前の安土桃山時代、宣教師によって伝えられ、元禄元年には長崎で盛んに造られました。 渡来当時は南蛮菓子(※注2)と呼ばれ、一般の庶民にはめったに口に出来ないほど、非常に高価なお菓子でした。
江戸時代の文化
江戸時代の文化は,幕藩体制の安定期に町人が台頭してきた京都・大阪の上方中心の元禄文化と幕藩体制の矛盾が進行して,江戸庶民を中心とした独特の文化が化政文化である。 化政文化とは,特に栄えた時期の年号(文化・文政)をとって化政文化という。 現実主義・合理主義的な傾向。
和菓子の魅力について
・幅広い世代に好まれる 食感が良いものが多い和菓子は、幅広い世代に好まれる傾向にあるといえます。 生クリームや砂糖がたくさん使用されたケーキなどの洋菓子とは違い、落ち着いた甘さとなっているので、お年寄りの方も安心して食べることができます。
あなたは和菓子と洋菓子、どちらが好きですか
和菓子と洋菓子、どちらが好きな人が多いのだろうか。 この質問に対し「洋菓子」と答えた人が68.6%、「和菓子」が29.0%。 「和菓子」と答えた人を年代別で見てみると、60代(60.1%)が最も多く、次いで50代(31.2%)、10代(26.2%)と続いた。